病院紹介

病院長挨拶

2024年1月1日をもって医療法人絋和会平和台病院の第6代目の院長に就任しました山下秀一です。当院は1964年の開院以来、長年にわたって糖尿病を中心とした地域医療に努力してまいりました。当院の歴史を守り発展することで、宮崎県の医療にさらに貢献する覚悟を持って院長職を務めるつもりです。平和台病院は皆様もご存知の通り、糖尿病診療の最高峰の医療機関であることを目標に発展してまいりました。現在では慢性血液透析の設備も整え、糖尿病の初期から、残念ながら腎不全にまで至った時期まで、人生を通して医療を提供できる体制を備えています。

私は救急医療にも対応できる総合内科医を理想の医師像と考え、1984年に宮崎医科大学を卒業後、臨床医としての成長を最大の目標にしてきました。最初に宮崎医科大学の第3内科に入局し、脳神経内科の専門医となりました。続いて救急医としての技術習得のため、久留米大学高度救命救急センターICUで外傷を含む救急重症管理に従事しました。その後社会保険病院小倉記念病院地域総合診療部に勤務した後宮崎に戻る機会を得て、宮崎市郡医師会病院で内科系救急医としての診療と、学生や若手医師への教育に従事しました。1999年には開業医として、堀川町山下内科呼吸器科医院の開設にも携わりました。その後、14年に及ぶ内科系救急医と一般診療所での医師としての活動の後に、卒後20年を過ぎて宮崎大学内科学講座神経呼吸内分泌分野に講師として招聘されました。

平成24年1月には佐賀大学医学部附属病院総合診療部教授に就任しました。内科系総合医(総合内科専門医・指導医、神経内科専門医・指導医、呼吸器内科専門医、救急科専門医、プライマリ・ケア認定医・指導医、病院総合診療認定医・指導医)として一般内科の診断困難例や重症例、複雑な病態を持つ症例などの診療並びに、学生や若手医師の教育と研究指導に従事しました。病院総合内科医の育成を最も重要なテーマとし、重症患者の治療管理までこなすことのできる医師を数多く育てました。この間の学会活動として、2019年には日本病院総合診療医学会を主催しました。

病院経営に関しては、教授就任後1年で病院長特別補佐として病院執行部に加わりました。その1年後には卒後臨床研修・附属病院再整備担当の副病院長に就任しました。さらに、教授就任5年目には佐賀大学医学部附属病医院の病院長に就任し、6年間務めました。職員の協力により、平成30年度には附属病院の収益が全国国立大学で第一位を記録しました。佐賀の地にありながらも世界のレベルに勝るとも劣らない、優れた医療を提供できる最新の病院に整備することが可能な経営状況を整えたと自負しています。最大の危機は令和2年からの新型コロナ感染症のパンデミックでした。コロナ感染症の初期より院内に対策本部をいち早く立ち上げ、病院内に感染者が無防備に立ち入ることを防ぐ努力を行いました。予防注射が開発されるまでは附属病院の職員も不安感に苛まれながらの診療でしたので、病院長が先頭に立つ姿を見せる必要があると考え、毎日病院玄関に立ち患者さんに直接挨拶しました。これは病院長退任まで、2年間継続できました。病院職員の一丸となった努力のおかげで、病院内にコロナ感染症が蔓延することはなく、医療機能を停止する事態に陥ることはありませんでした。

この様な経験を十二分に生かして、当院を受診される患者さん皆さんに最善の医療を提供できる様に、宮崎の地に重要な役割を果たしてきた平和台病院を職員全員の一致団結のもとに、さらに大きく育てて行きたいと願っています。今後の皆様のご協力を心よりお願い申し上げます。

令和6年1月
院長 山下秀一